鳥衝突日本委員会

鳥と飛行機の衝突の第一号

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鳥と飛行機の衝突の第一号は、すでにライト兄弟の試験飛行のときに発生していることが、1905年の彼らの日誌に残されています。

「1905年9月7日 オービルは4751メートルを4分45秒かけて4回の完全な円飛行をした。ベアードのトウモロコシ畑のフェンスを二度越えた。二度とも鳥の群れを追い、一度は衝突して上部翼の上にひっかかっていたが、急カーブを切った際に振り落とされた。」
場所はオハイオ州デイトンである。当然、このときには人的被害は発生しておらず、試験飛行は無事終了したことでしょう。(red-winged blackbird)

その後、多くの挑戦的な冒険飛行が行われ、アメリカ大陸を最初に横断飛行したのはカルブレイス・ロジャースですが、彼が鳥飛行機衝突の最初の犠牲者と言われています。彼のライト・プッシャー機による横断飛行の最終到達点はカリフォルニア州ロングビーチでしたが、数ヵ月後に彼はそこで飛行中にアヒル(Gull)と衝突して墜落。破壊した機体の下から溺れ死んだ死体が発見されたのは、1912年4月3日のことでした。

最初に鳥衝突の模様が写真撮影され、報告されたのは1916年のタイムズ紙に掲載されたものと考えられています。1916年10月1日の紙面に、その写真が掲載されており、大きなニュースとして取り上げられています。これはフランス軍の飛行機がタカ(Hawk)と衝突して複葉機のステイ用ワイアにひっかけたまま着陸したときの様子です。明らかに、飛行機は無事に着陸でき、操縦士も無傷でいます。

このように、航空機への鳥の衝突は、運命的にその最初のころからあり、記録されてはいないものの、世界大戦中の航空機の軍事への応用に際しても大問題となったようです。以来、空海軍がこの問題に深く関わってきています。

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